人生を動かすフレーズ6:他人の過失を見る必要はない。他人のした事としなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにせよ。

名言6

 他人の過失を見る必要はない。他人のした事としなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにせよ。

 

 またまたブッダさんの名言です。私が彼の名言を多々ご紹介する理由はやはり私自身1番この方から学び得たからですがそれだけでなく、彼の教えは正に今時を越えて我々現代人に必要な薬となる事を確信しているからでもあります。私は仏教徒でもなければ宗教家でもございません。ですので1人の現代社会人という目線で彼の言葉を捉え、考えた私の解釈を同じく今苦しんで生きているあなた方に読んで頂きたい次第です。実は本当に仏門の世界で生きようか思っていた時期もありますがそれは別の機会にお話させてくださればと思います。それでは参りましょう。

 

 これは前の記事にも書いた事ですが、他人の過ちは見やすく自分の過ちは気がつきにくいというのが人間です。そして他人の過ちをみて優越感に浸ったり、馬鹿にしたりするのも人間というものです。恐らく思い当たる節がある方も結構いらっしゃるかと思われます。例えば最近芸能人やらYoutuberの方がやらかしてニュースに取り上げられる場面が多々見られます。そのニュースに対して「最低な奴だ。二度と戻ってくるな。」とか「こいつ本当に情けないね。呆れたわ。」やら「馬鹿でしょこいつ。見損ないました。」だの特にTwitterなんかで叩きまくっている光景が目立ちます。いつもそのような光景を見て思うのです。それを言う事であなたにとって何か良い事でもあるのかなと。私はSNSでのこの現象をインターネットサンドバッグと勝手に名付けて呼んでいます。日頃のストレスを日常で発散できないからお手軽なインターネットで標的を作って叩いて発散してやる!というある種の脳内麻薬のようなものです。叩いている人はもう叩く事がクセになってしまっているんですね。それによってストレスを発散しなんとかこの世を生きている状態でしょうか。ですがその方の人間としての器はもうボロボロになってしまっている事でしょう。前回までのブログの話になってしまいますが、許すこともせず、他人に指摘する一方で自分を見つめ返すこともせず、なによりも自分という人間を成長させようという気持ちがないようでは永遠に貧しい心で常にマイナス思考で暗い世界でただ一人歩むようになってしまいます。たかがインターネットで叩くくらいで何を大げさな…と思っている方がいらっしゃいましたら気をつけて下さい。大きな水がめに一滴ずつポタリ、ポタリと水滴が落ちればいつかは水で満たされる様に悪い行いも少ずつ重ねればいつかは満たされあなたという人間に降りかかってきてしまうのだから。

 

 他人を見て自分と比べたり、悪く言ったりする時間。それは何もあなたにとってプラスになる事はありません。そうではなく常に視線は自己に向けるべきなのです。「私はこれまでの人生であれもこれもやってこなかった。だから今こそ動いて…」又は「私は人生常に前に進み続けあれも、これも成し遂げた。次は…」のように自分がやってきた事、やらなかった事だけを意識し未来に繋げていくこと。これこそがあなたを大きくそして立派にしていく心構えなのです。他人が何をしでかしたり、何を成し遂げるかはあなたには全く関係ありません。問題は今あなたは何をしているか、これから何をするのかなのです。そこを常に意識し生きていくことこそ「他人の過失を見る必要はない。他人のした事としなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにせよ。」というお言葉の真意なのではないかと私は考えこれからも己を見つみ精進していきたいと思っております。

 

平穏な兎より