人生を動かすフレーズ5:怒りに固執することは薪の燃えさしを相手に投げつけようとしてそれを握りしめるようなもの。それにより火傷を負うのは自分自身である。

名言5

 怒りに固執することは薪の燃えさしを相手に投げつけようとしてそれを握りしめるようなもの。それにより火傷を負うのは自分自身である。

 

 今日はこのブッダさんの名言から学ばせて頂こうと思います。私たち人間の感情で1番厄介なものは何でしょう。私はそれは憤怒、つまり怒りだと思っております。この世の事件という事件は9割怒りが原因でおこってしまったと言っても過言でありません。一時的に燃え上がった怒りの力で相手を殺めてしまうという事件は悲しい事ですが良く聞きますね。怒りというのは正に相手だけでなく己も破滅させるほどのある猛毒な感情なのです。心に燃え上がった怒りを鎮火させる術を身につけなければ人間は簡単に怒りに支配され、思考よりも感情で行動し、結果後悔するでしょう。それが「それにより火傷を負うのは自分自身である。」の持つ意味だと思います。では怒りを鎮火させる術とはどのようなものなのでしょう。

 

 皆さまがお怒りになる際の状況を思い起こして下さい。お怒りになる理由は様々ある事でしょう。基本的に私が考える怒りの種類は3つ御座います。

1、相手に対して抱く怒り

2、思うようにいかない自分に対しての怒り

3、この社会や、情勢などより大きな"環境"に対する怒り

あなたのお怒りはこの中のどれかに当てはまっているでしょうか。それ以外の怒りを抱えている方がいらっしゃいましたら是非コメントでご教授下されば幸いです。このなかでも特に強く、やっかいな怒りは1の相手に対する怒りでしょう。それに焦点を当ててお話致します。

 

 まずお相手に対して怒りを感じると、心の中でモヤのようなものが現れます。「あいつ私に対してこんな態度をとった」や「私を貶すあいつは許せない」などというモヤですね。そう一度思うとそれからさらにそのモヤは増幅します。「よく考えたら前からあいつの事は気に食わなかった」や「そう言えばあいつのあの性格は私と全く合わないし気に障るの」等とそのお相手の自分にとってマイナス評価の部分を掘り下げてもっと怒りを増幅させてしまうんですね。森で最初は1本の木が燃えていただけなのに次々に燃え移り最終的には森全体が火に包まれるような感覚です。怒りは連鎖しさらに増幅するようになっております。そうなるともうそのお相手の顔を見るたびに腹が立ち、あなたはマイナスの感情に憑かれてしまった状況です。ここで思い返して下さい。お相手に対して怒ると疲れませんか。怒りは1日中あなたの心と頭に憑いてぐるぐる循環しているので休む間も与えません。そしてお相手に会うたびにその感情があなたを蝕む。まさに相手への怒りが自分を傷つけるようになり、負の連鎖に陥る事にも繋がります。 ですのでお相手に対して怒るという事は実は全くの無意味、むしろ自分にとってマイナスでしかないのです。その連鎖を断ち切る方法。それは許す、というそれだけのことなのです。実はこの許すというう事は簡単そうでとても難しい事です。あなたの人間としての器が試されます。もし今これを読んでいるあなたが「許すだって。それが出来ないから怒ってしまうんだよ。」とお思いでしたらあなたは人間としてもっと鍛える良いチャンスがここにあります。

 

 例えばお相手があなたにぶつかってきてあなたは謝ります。しかし相手は短気で怒りであなたに暴力をふるったとします。もしここであなたも怒り手をあげたらあなたもお相手も怪我ではすまないかもしれません。そこで「ああ…この人はきっと人生上手くいっていなくて常に怒りに囚われている可哀そうな方なんだ。許すよ」と許してしまえばあなたはその出来事を水に流して後にひっぱる事はないでしょう。ここで恐らく「いいや。馬鹿馬鹿しい。私なら相手を一発で打ちのめせるから自分が傷つくこともなく相手を負かすよ。気分もすっきりするでしょその方が」という方もいらっしゃる事でしょう。そうではないのです。そこでその行動をしてしまえばあなたはその程度の人間になってしまいます。怒りを怒りで返すという行動はあなたを修羅の道、闘争の世界へ導きます。心の安寧なんてないその世界で生きて死にたいのならそうなさい。しかしこれを読んでいる方の大半は安寧を求め読んでくださっているはずです。

 

 先ほど例を挙げましたが許すというのは器量が必要ではあります。しかしこの許すという行為ほどあなたを成長させる物はないでしょう。ハッキリ申し上げて怒りに囚われすぐに感情をむき出しにして行動する方がこの世の中には多すぎます。しかしあなたは違います。あなたは周りが燃え上がっていても常に静かにすっと澄ましているのです。そして許しとは、相手も救うことに繋がります。「私はなんてひどい事を言ってしまったんだろう。」「感情に流されて怒って…私馬鹿みたいだ」とお相手に思わせるように許してあげるのです。ブッダさんの言葉の翻訳でこのようなものがあります。「敵の怒りに対して君は怒らず朗らかにしている。するとある敵はその怒りで自滅し、ある敵は悔み生まれ変わる。」私の意訳で恐縮ですが、この言葉が何を物語っているかここまで読んで下さった皆様ならお分かりになるかと思われます。

 

 最後に、今回の記事は今まででも最も行う事が難しく、理想論だと思われるかもしれません。しかし道半ば青二才の私は馬鹿正直に許す、許すを出来る範囲で行い本当に自分の心境や周りの人間がその私をみて変わったなと実感しております。理想論かもしれない。夢物語かもしれない。でも私は信じてこの道を歩んでみたい。もしそれに少しでもついていってみようかなと思う方がいらっしゃるのなら私はこのブログを書き続け伝え続けていきたい。そう思う次第です。

 

平穏な兎より