人生を動かすフレーズ3:「私は愚かである」と認められる者こそ賢者であり逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶ。

名言3

 「私は愚かである」と認められる者こそ賢者であり逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶ。

 

 今回はこのフレーズについてお話させて下さい。これは私にとってもそして日々精進を重ね生きている全ての方にとっても永遠の課題なんじゃないかと思う次第です。

 

 人間誰しもそうですがやはりどこかで自分にプライドがあり、自分を肯定しがちな所がございます。私はこれだけの事をしてきたんだ!とか私は皆より努力してるから偉いんだ!等といった具合にやはり傲慢になってしまいがちです。もちろん努力を重ねて結果を出した事自体は素晴らしい事で、あなたにとって立派な勲章でありましょう。しかしもしそこで「私は賢者だ。私は正しいし素晴らしい人間だ。」と驕ってしまってはそこで成長は止まってしまい、やがて老いて実力も衰えそこには何もなくなってしまうかもしれません。その結果過去の栄光にすがり過去ばかりにとらわれてしまう高齢者が出来あがってしまう。

 

 突然ですが完璧とはなんでしょう。もしこの答えにパッと回答が思い浮かべられる方がいらっしゃいましたら是非コメントを頂けたら幸いです。というのも、私は全くこの答えが分からないのです。もちろん辞書で出てくる文字の意味は分かります。しかし完璧、完全の定義が言い表せないのです。私は完璧、完全な人、物はないと考えております。もちろん「俺は完璧だ!」とか「この私の考案したプロジェクトは完璧だ!」という事で己の中では完璧になるのでしょう。しかしあえて申し上げます。完璧なんてないのではないかと。完璧と思ったその時点で自分でその先の道に終止符を打ってしまうのだから終わってしまうじゃないかと常々思うのです。成功していらっしゃる経営者の方々は口をそろえて仰います。「完璧と思ったらそれでおわり。まだ何かあるんじゃないかと思い続けるからこそ成長していくのだ。」と。漫画家の方や音楽家、デザイナーなどの所謂芸術家の方々も同じです。「まだ私の芸術は完成されていない。私の作品はまだもっと表現できる。」と。そう歩み続けるからこそ、永遠に止まらず驕らず成長出来ているのだと確信しております。

 

 「私は愚かである」と認められる者。これはつまり驕らず常に自分に対して厳しく律しているものであります。「自分は賢者である」と思っている者。これは自分はもう完成されていると驕ってしまいそこから成長を止めてしまった者。私はそうこのフレーズを解釈しております。これは本当に難しい事でやはり誰でも驕り、自分のしてきた事を自慢したくなるもの。だって他人より頑張ったんですもの。しかしそこでまた己を律し、私は愚かだと思う事でさらにあなたは素晴らしい人間になるでしょう。それこそ、完璧に近い人間に死ぬ最後の時なっているかもしれませんね。

 

平穏な兎より