私という人間 私の過去2/3 大学生まで

 さて、高校生の頃までの私の過程は前の記事の通りですが、悩み本にばっかり浸ったり、洋楽から生きるすべを学ぼうと必死だったりととても勉強出来る精神状態ではなかったので私は上位私立の学力とは思えないほど偏差値も低く、結局受けた大学は全部落ちるというまさにおバカの極みに達しておりました。結局浪人することになり、また1年勉強をすることになったわけですがハッキリと申し上げる事が出来ます。もし私があの予備校に通うことがなく、あの予備校で仲間に出会えなかったそのような平行世界があるとしたら、その世界線の私は破滅していたでしょう。生きていたかも怪しいものです。運命としか呼べない出会い。それが私を大きく変える事になります。

 

 私の通った予備校は名前を聞けば都内の方なら恐らく7割方存じでいるであろう中規模な予備校でした。その時の私といえばすっかり高校2年生の時までの私ではなくなっていました。勉強は一切やってきませんでしたがあの本の通り自分を偽るわけでもなく道化を演じるわけでもなく根本的な弱い自分そのものを変えてしまう。そのトレーニングだけは怠りませんでした。幸運だったのは80、90年代の洋楽ロックに出会っていたことです。つまり私の目指す他人とは違うけどそれに屈することなくどうどうと自分の道を歩むワルのお手本が一杯あったということです。私はその時ヴィンス・二―ルやアクセル・ローズを手本としていました。特にアクセルは根本的に私と人間的に近いものを感じていたので目指すにはちょうど良かったです。

 

 そして予備校入学当日、すっかり私はワルな風貌でいました。ワルとはいっても悪、狂人になったわけではなくあくまでワルというスタイルを纏ったマイノリティと申し上げるのが適切な表現なのですけれでもそれはロックという音楽史の話になってしまうのでここでは割愛致します。私は最初誰とも仲良くなるつもりはありませんでした。どうせ誰も私を理解できないでしょうしまたくだらないカースト制度を作って幼稚な上下関係ゴッコしかできない奴らだろうと思っていたからです。そんな時今でも覚えています。私が予備校の受付で名簿に名前を記入しようとしていたのですが名簿がそこになかったんですね。おかしいなと思っていると隣に少しチャラそうな人が近づいてきて「ないね。」って微笑んで話しかけてきたんです。私は心の中で「なんだこの子は。一見不良にしか見えない私に話しかけてきたのか。変な奴。」と思いながら「ないね。」と返事しました。このないねの3文字が私の人生を大きく変えるなんて思いもしませんでした。この子とはそれからずっと付き合い続け心からの親友となり他県に引っ越して離れ離れになった今でもたまに会っては飲みます。一見派手好きなおしゃれな遊び好きな子に見えるんですが実はシャイな子で何も考えず電波みたいなところがあるんだけどしっかり芯が座った今まで会ったことがない子でした。警戒していた私もすぐにああ、この子は大丈夫だとすぐ打ち解け友達が出来たのです。ここでこの子以外の出会いを書くととんでもなく長くなってしまいますので簡略的に書かせて頂きます。この子と話していると次々に私たちのもとに仲間が集まってきたのです。正直に言います。全員会ったこともないタイプの人間で俗に言う変人です。ただし共通する事は、全員心から優しいけどどこか他人と違う、普通と違う所に悩んでいて考える。しかしまっすぐに自分という芯があって他人に流れて生きている奴らとは違う。そういう奴らだったのです。なぜこの予備校にここまでのそうはいないタイプの人間が集まっていて、何故こうも上手く皆仲良くなれたかは不明です。運命、としか言いようがないものでした。

 

 もちろん予備校にもグループは出来ます。そして当然の如く私の高校にもいたタイプの所謂一般的で過去にいじめを受けたこともなく楽しく学生時代を過ごしたんだろうなというタイプと私たち変人グループは分かれました。ただし私含め皆かなり存在感が大きく特殊なものを持っていたので他のグループが私たちに何かすることもなかったしとても平穏だった事を覚えています。結局今でもそこで出会った子たちとは繋がっているし私の自慢できる友人たちです。このブログをこの子達が見る事はないだろうけど今ここでもう一度ありがとうと言わせてほしい。今の私は君たちが作ったのです。本当に馬鹿な事をこの子達とやったし私が本当の意味で幸せを知ったのもこの時期でした。

 

 そして楽しい1年はあっという間にすぎて私たちは大学生になりました。遊んでばかりな気がしましたが同じくらい皆で必死に勉強もしあったので皆難関校に受かりました。予備校の先生が「なんでまじめな集団の子達が良い結果がでなくてあんな問題児ばかりの平穏な兎達のグループが良い結果出してるんだ」と言われたのは良い思い出です。ちなみにその予備校は次の年場所を移しました。私たちがあまりに五月蠅かったからきっとクレームが来たんですね。先生方、誠に申し訳ございません。あの時の私たちはようやく本当の意味の仲間に出会えた喜びで舞い上がっていたのです。

 

 大学に通うようになり私は国際交流関係の講義を受ける毎日となりました。私は洋楽から英語が好きになり海外に行きたいという漠然とした気持ちがあったので第一志望のこの大学生活は面白くなるだろうと予想していました。しかし1年の夢のように楽しい期間のせいで私は忘れていたのです。私はマイノリティであり、俗に言う変人であり、理解されない人種ということを。やはりあの予備校の空間が異常すぎたのです。運悪く大学に私の求める空間はありませんでした。授業は面白かったです。しかし同級生、そして校風はとてつもなくつまらなく高校生時代をフラッシュバックしました。私はここですっかり又自分の人生に悩む生活になってしまいました。予備校時代の友人に会うと皆も同じ事を言っていました。つまらないと。しかし私ほど周りの環境は悪くなかったようでそこまで気にしていませんでした。私の周りの環境は私にとっては最悪で高校時代となにも変わりませんでした。

 

 しかしそんな大学でしたが唯一本当によかった事がございます。それは唯一無二の最高の親友と出会えたこと、その友人と留学出来たことです。大学で誇張なく何百人と会話はしましたが大学の友人はこの子1人だけです。しかしこの子は私の移し鏡のような奴で全ての意見が合うのです。どんなに難しい話もお互いできました。はっきり言うことができます。今生きているのは予備校で出会った親友たちと、この大学で出会った私のかけがえのない親友のおかげではありますが、私を成長させ、私を大きくしたのは大学で出会った彼のおかげです。彼がいなければ大学の期間でまた病んでしまっていたでしょう。彼の存在が私の大学時代の全てです。なぜなら私は大学を中退したからです。ただ外国語をファッションと考え碌にその根本的な深さを考えようともせず大学でカースト制度を作って幼稚な毎日を過ごす方々と勉学に励む気にはなりませんでした。もちろん中退するにあたってたくさんの出来事や、悩み、迷いはありましたが今となって言えるのはあそこで中退していなかったら私は終わっていたという事です。

ここまでが私の大学生時代の概要です。深く掘り下げるときりがありませんし、私という人間の輪郭を知るならこの程度の内容でもよいのかなと思います。読んでくださっている皆様にはこんな自分語りをお見せしてしまいお恥ずかしい限りですが、これから私がブログでやりたいこと、伝えたいことは悩み、苦しみ、死にたいと思う過去の私のような方に光を与える事なのです。私のような人間でも心からの安寧を得てまた真に人間を純粋に愛し、社会の為に幸せに働くことが出来るようになったのだからあなただって大丈夫!というそのメッセージを残したいのです。その上で私の過去を知って欲しかったのです。

 

今回はここまで。次回で私の過去は最後となります。

次回 中退後~今に至るまで ~そして私は過去の全てを克服し、安寧を得た~