人生を動かすフレーズ2:沈黙している人も非難され、多くを語る人も非難され、少し語る人も非難される。世に非難されない者はいない。

名言2

 沈黙している人も非難され、多くを語る人も非難され、少し語る人も非難される。世に非難されない者はいない。 ブッダより

 

 これもとても有名なブッダさんのフレーズですね。読んで字の如くの意味ではありますがこれをしっかり理解できていれば生きるのがだいぶ楽になるでしょう。今回はこのフレーズを私なりの解釈で説明させて下さい。

 

 現代では特に出る杭は打たれるのように普通と違う人間を叩く風潮にあります。インターネットの世界なんか特にそうですね。他人を褒めたり敬意を表したりすることは減り、むしろ悪意を持って攻撃する書き込みが多く見られます。ではまず何故そのように現代では負の感情の方が多くなってしまうのでしょう。少々話がそれてはしまいますが大事な部分ですので書かせて頂きます。

 

 私の持論ではありますが、他人を叩いたり、貶す事を好む人間は総じて自分に自信がなく、自分を磨く努力を怠りなおかつ実力を持っていない方がほとんどです。これはハッキリと申し上げます。自分を鍛え、人間的に熟した者であれば他人への攻撃はしないものです。なぜなら彼らは悪口を言うという事から何も生まれないし、むしろ自分という人間を損なうことであると心から理解しているからです。他人を攻撃する暇があれば彼らはそれを自分の心に向けて「自分もこういう所が未熟だから成長せねば」と正す習慣が出来ています。それを怠り妬み、漠然とした怒りなどからすぐに他人を批判しそれが自分に将来どう影響するかも深く考えない方があまりにも多すぎる。しかしそれはあなた方のせいだと決めつける事は致しません。なぜなら今の社会があまりに余裕のない若者を多く生み出している張本人だからです。その事は別の記事で主に扱いますのでここでは控えますが、やはりその余裕のなさや、自分への失望、競争社会での不安感などが心にもやもやと浮かび上がりネガティブになり他人の幸福や実力を素直に認め称えることが出来なくなっている要因となってしまっているでしょう。しかし悪口というのは相手を傷つけているようで実は自分を一番傷つけているもの。悪口、妬み、嫉妬に侵された人間は最後には誰からも相手にされず破滅するでしょう。もし今これを読んでくださっているあなた方の中に思い当たる節があると感じた者がいらっしゃいましたらすぐおやめなさい。そして今日からその時間を自分への向上、相手の悪いところではなく良いところを見て自分に取り込みなさい。そのように生きていればあなたはきっと素晴らしい生き方をするでしょう。

 

 話がそれてしまいましたが、これが悪口を言う人間の背後にあるものです。ですがある意味これは人間の特性とも呼ぶ事が出来ます。なぜなら今より何千年も前の資料にもこのような妬みから来る悪口や、イジメなんかがあったという資料が発見されています。いくら文明が発達してもそれは変えられなかったのです。人間とはそういう部分があるのです。恐らく誰からも好かれ誰にも嫌われない人間というのは存在しないでしょう。どんなに正しく行動しているつもりでも怒りや反感を買ってしまうことだってあります。ですので当然そういうことだってあるよね位に思って己の道を進み続ける事が大事なのです。

 

 過去の私がそうであったように、いじめられた過去を持つ方に多いのですが非難される事にとても敏感になります。自分の事でないのに裏でこそこそ言っているのを聞いてしまったら「私の事なのかな…」と頭を抱え込んでしまう事だってありますものね。過去に非難されすぎて出来るだけ非難されないようにしっかりしなきゃと顔色を伺いながら生活する事は容易じゃありません。毎日に神経を使い疲れきってしまいます。しかもそうしているにもかかわらず非難されてしまうということも珍しくありません。ですので、非難されていい!私は偽らない本当の自分であっていい!周りがなんと言おうがこれが私なんだ!と思って毎日を進んで良いのです。有名なアーティストなんかもファンと同じくらいアンチと呼ばれる方がいるものです。これはもう仕方がないのです。どうせどう生きてもあなたを非難する者が出てくるのですからあなたは何もそれに恐れる事無く「あ、なんか言ってるな~」程度で流してしまいなさい。ただしなんでも非難と捉え、自分が正しい!絶対だと思ってはいけません。非難のように聞こえ実はそこが自分の未熟な点で、己を成長させるヒントが見つかる場合もあるのです。そこまでになればもうあなたは一流の素晴らしい人間で私から申し上げられる事はないでしょう。しかしすぐにそうはなれないものですし、私も道半ばです。ですのでまずは非難されても山のように動じずずっしり立っている。そこを目指すのはいかがでしょうか。

 

平穏な兎より